第8話~9話
飯田 双海翔子(ふたみしょうこ)のノートに従って、第2話のダイナーで出会った秋山唯を助ける第8話。せっかく霧原兄弟と関わりを持ったキャラクターなので、ドラマの同名人物よりも活躍してもらいました。能力もリーディングから発展させた未来視の力を持っています。唯と再会をしてユウヤの能力がさらに強くなり、それが奥原晶子(おくはらあきこ)との接点を持つきっかけになる。今回のアニメ化にあたって、唯のように設定を変えたキャラクターもいますが、奥原の場合は以前と同様のキャラクター性です。物質文明や戦いの勝ち負けに固執する人は一定数いて、その象徴のような人物ですね。また、老人は長い年月を生きてさまざまなことを学んできたのだから、彼女のようであってほしいという僕の願いが現れているのかもしれません。
第9話はそんな奥原の中間世界での戦いが主で、アニメ制作スタッフが脚本以上にがんばってくれました。玲佳のミドルソードは視覚的なインパクトを与えるために書いたのですが、これも映像で効果的に使ってくれて。ここでの戦いはあくまで精神的な映像とはいえ、あの中間世界での直人への攻撃をインパクトある形で視聴者に見せる必要があったので、アニメの「何でもあり」なところを生かした面白い画作りをしてくれたと思います。玲佳と道夫の敗退は尺の都合でわりとあっけなく終わってしまったのですが、小説『NIGHT HEAD 2041』(上・下巻ともに好評発売中)にはこのふたりについて詳しく書いてあるので、ぜひこちらも読んでみてください。
第10話~11話
飯田 第10~11話も、直人が戦闘機をなぎ払ったりミサイル同士をぶつけて止めたりと、アニメでないと不可能なスペクタクルシーンがありました。実写とは頭の働かせ方を変えて際限なく超能力を描いていけるので楽しかったですね。視覚的にもとても面白い効果ができて、スタッフのみんなのがんばりに感謝しています。また、この話数で小林君枝がマインドコントロールの能力を使って暗躍し、戦争の火種を作りますが、これも歴史の中で戦争を仕かけたい側が繰り返し行ってきたことですよね。
第11話になると時間が錯綜していきますが、これもアニメ作品だからこそできた尖った演出だと思います。この錯綜表現が、最終的にタクヤと直人が同一人物だったことの前振りとなっているんです。「こうなったほうが面白いな」とどんどん進めていって、整合性はそのあとで考えるのが僕の書き方。もちろん、漠然とラストは決めておきますが、結論に縛られすぎると面白くなくなってしまうので、違う方向に行ったほうが面白いと思えば、それに素直に従うことを書くときは心がけています。その意味で、この時間交錯は無理なく整合性も取れましたし、うまく書けたと思います。
第12話(最終話)
飯田 実写ドラマのときも自分の中では話を完結させた意識があったのですが、テレビと比べて映画(『NIGHT HEAD 劇場版』)や小説(『NIGHT HEAD 誘発者』)まで追いかけてくれる方は多くないものですから、その印象は薄かったようです。なので今回は、12話という限られた尺の中でもきちんとたたもうという意識が最初からありました。実写と言えば、ソーダ水と人生ゲームはアニメにも引き継いだモチーフです。前者は泡の中ひとつひとつに記憶があることの象徴で、後者は子供の頃に遊ぶことで自分の人生について考えたり、無邪気な夢を見るシークエンス作りに使いました。これは物語の最後での黒木兄弟の幸せな結末への象徴にもなっています。また、時間のモチーフとして、アニメでも黒木兄弟の両親が経営する時計店が登場します。TVドラマのときはこの店での出来事は寂しくなるシーンでしたが、今回はハッピーエンドで締めくくりました。
『NIGHT HEAD』を30年前に書いて物語作りで成長した部分を、今作『NIGHT HEAD 2041』で自分なりにうまく表現できたのではないかと思っています。この物語の世界では、自分の意見や体制に反対する人を踏み潰すような人間が出てきます。でも、最終回では相手には相手の事情があって、そこまで考察して選択するべきだというテーマを投げかけています。今の時代に『NIGHT HEAD 2041』を見ることで、それを受け止めてくれる人がひとりでも多くいたらうれしいですね。
- 飯田譲治
- いいだじょうじ 1959年生まれ。長野県出身。映画監督、脚本家、演出家、小説家。TVドラマ『NIGHT HEAD』演出・脚本、『沙粧妙子-最後の事件-』脚本、『アイアングランマ』原作・脚本・演出、映画『アナザヘブン』原作・監督・脚本などを担当。